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哲学 哲学メモ デカルトvs懐疑論者 確実なものは何か? 懐疑論者:人間精神やら自然やらは確かめられえない。→不確か デカルト:懐疑論者の方法を用いて人間精神の確実性を保証。 デカルトの実体問題 実体は複数。 自然は不完全な実体。 人間精神は自然に対しては完全な実体である。 一方神に対して、人間精神は不完全な実体。 神は完全な実体。 スピノザの実体問題 デカルトの実体問題を継承。スピノザvsデカルトの図式。 仮に実体を自然・人間精神と分類する。 自然は必然(=「そのようにある」という意味。意志・目的ではない)的とされる。 人間精神に自由を認める場合、独自の立場に立ちその限りで決定を下せる=自由を考えるが、ある特定の立場に人を立たせた場合は同じ行動をするだろうと考えられ、それは必然的=自然と同じ実体と見なせる。 故に実体は一つ。 個体・実体 個体はあるか?(ex.テセウスの船) A そのように認識する限りで個体は認められる。そのように認識しない場合は個体は認められない。 認識の主体はなにか? デカルト 人間精神が個体を認識する スピノザ 人間身体=自然が個体を認識する 言語に関して 言葉の伝達 言葉の伝達はモノの送達とは異なる。 モノの送達は、 ある人Aがモノの所有権を放棄する。 モノがAから別の人Bへ向かって移送される。 Bが移送されたモノの所有権を得る。 の3つの過程。 言葉の伝達は、 ある人Aが言葉の知るところを表明する。 言葉がAから別の人Bへ向かって公開される。 Bが公開された言葉を知る。 の三過程。 あるものの「所有権」を「あるものを自分以外の人に扱われない権利」だと考えると、言葉の伝達はモノの送達と異なり、発送者は言葉に対する所有権を失わない。発話者は、聞き手に言葉が伝達されたあとも、伝達された言葉を語っても良い。 言葉を話す理由 話すことによって聞き手を動員できれば話し手が得する。共同性に基礎を置く。ある指示をして、そのとおりに聞き手が動くということ。最終的に誰かが話したとおりに動けば良い。 話したこと(言葉)が何らかの動作(言葉以外のもの)に対応付けられれば、その限りで有用。最終的に対応付けられればよいので、話したことが聞き手によって再び話されることもその有用性にふくめていい。そこから、話した言葉が別の言葉で置き換えられることも、再伝達可能性を高めるので有用 言葉の意味 言葉を話す理由の考察から 聞いた言葉を言葉以外のものに置換できること 聞いた言葉を再び伝達できること 聞いた言葉を別の言葉で置換できること を意味として取ってよい。 言葉の再伝達について 言葉の再伝達は言葉の意味としては弱いだろうと考えられる。もしもある言葉Aが別の言葉や言葉以外のものに置換できない場合、その言葉Aはいくら伝達されようが話し手の利益にならない。そういう言葉は「呪文」である、と言える。 言葉の意味の確認 最終的に言葉は言葉以外のものを指示している。それとの対応関係を伝達の過程で明らかにすることで、「対話が成立した」と言える。ある言葉が即座に言葉以外のものに対応付けることが不可能である場合も、その言葉を別の、対話の成立する言葉=その言葉と対応する言葉以外のものの関係が明らかである言葉に置き換えることで意味を確認できる。 話し手と聞き手がその場で話す場合、話される言葉の意味の確認は即座に行える。単に「問いただせ」ば良い。この時に話された言葉の話し手に対する有用性を明らかに出来れば、これは「対話が成立している」。また、その言葉の意味を復元できない言葉=呪文を話し手が話しているということもありうるが、聞き手が問いただすことによってその言葉が呪文であることを判別できる。 置換が必要な言葉と不必要な言葉を分ける これは「問いただし」を定式化してから。基礎語なるものは表記的伝達語彙の意味の一意性の不可能性を考えると定義しづらい。 置換が不必要な言葉は即言葉以外のものに変換できるからこれを基礎付けに用いて「基礎語」と名付ける。置換が必要な言葉は置換が不必要な言葉へ変換する必要があるから「応用語」と名付ける。「基礎語」のリストを「辞書」と名付ける。応用語は基礎語の辞書に変換してそののちに言葉以外のものに変換すれば良い。 対話が成立しないパターン 対話が成立しないパターンは 問いただすことが不可能 話されている言葉が呪文 の二パターンある。 ゴミ 物質は個々の物質(粒子や光子など)ではなく系によって表現される。→ハミルトニアン。 最大の系は宇宙。 宇宙から個別に切り取ると個別の系ができるが、それは近似を含んでいる。 個別的な系を切り取っても物理学的にはあまり意味はない。(ただし系内と系外の相互作用が小さく、0としてもよい場合はある。簡便のためそこから記述をはじめてもよいが、それは近似である。) また個別の系でも量子力学的効果によってエネルギーを計算できないことは多い。その場合は摂動法などの近似法を用いる。
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基礎データ ブランド名 東洋哲学研究所 会社名 財団法人東洋哲学研究所 電話番号 Fax番号 メール 企業分類 各種団体 現在の問合せ結果 × 現在のコメント メール返信なし 最終更新日 2009/05/25 特記事項 八王子の創価大学の敷地内に所在。創立者は池田大作。 基礎データ特記事項 東洋哲学研究所2008年12月21日の毎日朝刊に広告あり 他、広告あり 05/24 ×(メール返信なし) 特に新聞に広告を出している企業は毎日新聞にとって泣き所となるようです 問合せ 問合せ先一覧 / 毎日新聞に広告を出していた企業(日付別) / 毎日jpに広告を出していた企業 / 電話問合せのコツ 結果別一覧 ◎◎-◎-○ / △ / ×(記号、数字、ローマ字) / ×(ひらがな) / ×(カタカナ・ア行~ナ行) / ×(カタカナ・ハ行~ワ行) / ×(漢字・あ行~か行) / ×(漢字・さ行~た行) / ×(漢字・な行~は行) / ×(漢字・ま行~わ行) 分野別一覧 製造業 / 製造業その他 / 小売、卸売 / サービス業、娯楽 / 医療、医薬 / 建設、不動産 / 金融、運輸、IT、その他 / マスコミ、出版 行政等一覧 行政、各種団体等 / 教育機関等 / 政治家、著名人 毎日新聞系列 【その1】 【その2】 【その3】 【その4】 【その5】 【その6】 【その7】 【その8】 【その9】 問合せ報告 毎日新聞関係の凸結果を淡々と張り続けるスレ7 ※「電凸」とは「電話問合せ」のインターネットスラング(俗語)です。(詳細は用語集) 対応評価の大まかな目安 ◎◎ 広告打ち切り・今後広告を出さない・今後広告を出す予定はない ◎ 良対応・厳重な抗議 ○ 普通、中立対応・対応検討中、今後注視 △ 保留・問合せの返答結果待ち(3日以内に回答なければ×) × 悪対応・無回答・処分は十分毎日の姿勢を容認・広告続行 このテンプレを編集 東洋哲学研究所 2008年12月21日の毎日朝刊に広告あり 他、 広告あり 05/24 ×(メール返信なし) 「日本の母は息子の性処理係」毎日新聞が捏造記事163 http //hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1241265294/741 741 名前:可愛い奥様[] 投稿日:2009/05/24(日) 21 26 36 ID rmhALCAx0 転載します --------- 201 名前:松崎名無しげる[sage] 投稿日:09/05/24 21 25 46 ID WJXWwRDa メールのお返事ですv (財)東洋哲学研究所(ttp //www.totetu.org/)→メール返信無し 検索 2009年12月04日の毎日朝刊 広告一覧 行政、各種団体等への問合せ結果
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勝手に哲学史入門
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伊勢田 哲治筑摩書房(2005/07/06) 参考文献(気になるもの抜粋) 反証主義とその周辺 伊勢田哲治 「疑似科学と科学の哲学」名古屋大学出版 2003 戸田山和久 「科学哲学の冒険」NHKブックス 2005 内井惣七 「科学哲学入門―科学の方法・科学の目的」世界思想社 1995 小河原誠 「批判的合理主義(現代思想の冒険者たち14)」講談社 1997 リサーチ・リテラシー 谷岡一郎 『「社会調査」のウソ― リサーチ・リテラシーのすすめ』文春新書 2000 認識論 戸田山 「知識の哲学」産業図書 2002 論理学 戸田山 「論理学をつくる」名古屋大学出版会 2000 野矢茂樹 「論理学」東京大学出版会 1994 三浦俊彦 「論理学入門―推論のセンスとテクニックのために」NHKブックス 2000 倫理 アンソニー・ウエンストン 「ここからはじまる倫理」野矢茂樹ほか訳 春秋社 2004 加藤尚武 「倫理力を鍛える」小学館 2003 ジョン・ロールズ 「正義論」矢島鈞次 1979 チャンドラン・クカサス、フィリップ・ペティット 「ロールズ―『正義論』とその批判者たち」 br()山田八千子、嶋津格訳 勁草書房 1996 通訳不可能性 トーマス・クーン 「科学革命の構造」中山茂訳 みすず書房 1971 野家啓一 「クーン ― パラダイム」講談社 1998
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ポストモダン状況がはじまったのはいつか 進化論が与えた衝撃とは何か 精神も生命も機械であるとすればすべてが機械であるとする哲学というものはあるのか 機械論的自然観の問題点は何か 進化論的生命観に対抗しようとした哲学は何か ポストモダン状況を解明できる哲学はあるか。 機械一元論的哲学の系譜はあるか ポストモダン状況がはじまったのはいつか すべてを機械論的に説明しようとしてきた自然科学が生物や人間精神をも説明しようとしはじめたとき。それと対決するために現代哲学は一斉に開花したがすべて消えた。 進化論が与えた衝撃とは何か 進化論は生物の分類を歴史という時間軸を用いて明らかにしたものであり、このことによって哲学的な問題であった人間精神も機械論的な進化のプロセスの産物にすぎないことが明らかになったこと。 精神も生命も機械であるとすればすべてが機械であるとする哲学というものはあるのか ある。ラ・メトリの『人間機械論』(1747年)。その後もその復刻版に過ぎない思想が次々と現れ、現代の「脳科学」もその一つである。 機械論的自然観の問題点は何か 機械という言葉で何かを説明しているようにみえて結局何も説明できていないこと。 進化論的生命観に対抗しようとした哲学は何か フッサール、ベルクソン、ホワイトヘッド、及び実存主義者達。ここではこれらの人たちの哲学を現代哲学と呼ぶ。それ以外、それ以降のものは「現代思想」と呼んで区別する。 ポストモダン状況を解明できる哲学はあるか。 「機械一元論」を候補にあげたい。物質にも精神や生物の要素があるとする考え方。 機械一元論的哲学の系譜はあるか ある。ホッブスの『リヴァイアサン』(1651)、人間は機械であるのだから、社会もそれを組み合わせた機械として作れると考えた。また、ライプニッツのモナド論。すべては魂を持つ分子(モナド)であり、鉱物であれ植物であれ、みなそれぞれに意識を持つと考えた。18世紀のモーペルチュイ、『自然の体系』1756)物体に引力なる属性があるのなら、すべての分子に知覚も欲望もあって良い。サミュエル・バトラー『エレホン』(1872)。メンドリが卵を産んでいるのを、メンドリは卵の空という無機物を生産する機械と考えてはいけないのかという考えを述べ、その後のノーバート・ウィーナーの『サイバネティクス』(1948)では機械と人間のコミュニケーションの方法について論じられた。また、それとは全く違う文脈からジル・ドゥルーズとガタリによって『欲望する機械』(1972)という概念が登場し、哲学的機械一元論を明確化した。
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ひたすらに思考を掘り下げ哲学を続ける悪魔。 だがそれを外部に伝える手段をもたない。 (色違い>心無き者) 成熟レベル:99 加入時 出現マップ ○ ◇ □ 考える(後1体/ダメージなし) 考える(後1体/ダメージなし) 考える(後1体/ダメージなし) Lv 肉体 精神 健康 ○ ◇ □ 35 26 37 33 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 36 50 44 カップリング 対象 結果
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人狼とはなんなのか 人狼哲学概論 どうして吊るのか 善悪の彼岸 人狼における反出生主義概論
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哲学的ゾンビ 未来を元に再構成した電卓の日記に書かれていた、「出来の悪いゾンビ」 物理的には普通の人間と全く同じだが、『クオリア』を認識できない存在である。 例えば、式子の髪をそのゾンビに見せてみる。 すると、ゾンビの脳内では化学反応が起こって「これは緑色です」という。 だが、このゾンビは人間とは違い『この感じ』というのを受け取っていないのだ。 『この感じ』が無いということは、『意識』が無いということ。 状況に応じて、単にそれっぽく反応しているだけの者なのである。 果たして樹が見ている琴子は『哲学的ゾンビ』なのか、それとも……。 関連項目 クアレ(クオリア) 意識のハード・プロブレム
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現代哲学の一般的な解説書の難点は何か 近代哲学だとなぜ系統樹のように思想家を分類できるのか ポストモダンでは普遍的な知識についてどう考えるのか なぜポストモダンでは普遍的な知識が重要でないと考えるのか 現代哲学の解説ためには系統樹ではなく何が必要なのか 現代哲学者と呼べる最初期の人物は誰か 彼らは何をしたのか 彼らの後に続く20世紀前半の人物は誰か 彼らが用いた道具立ては何か 彼らの哲学に共通の特徴は何か 彼らの哲学に共通の難点は何か 日本の西田や和辻といった思想家は現代哲学者ではないのか 彼らの議論に欠けていたものは何か 西欧の危機が認識されるようになったのはいつか 西欧の危機に対する哲学者の反応は何か 西欧の危機に対する哲学者の立場はどういったものか 「生」とはどういった概念か 「生」を哲学の主題とする哲学とは何か ディルタイにとっての哲学の仕事とは何か ギュイヨーが主張した倫理学とは何か シェーラーの「哲学的人間学」とは何か 現代哲学の一般的な解説書の難点は何か 19世紀後半からのあらゆる思想家達の系藤樹を書き出すようなことをする点である。そもそも系統樹のような書き方ができるのは近代哲学の観念を前提にしている。 近代哲学だとなぜ系統樹のように思想家を分類できるのか 近代の「人間」という見方に基づいている。どんな時代でも人間がたてた問いに対してそれに答えるという活動を行っておりそうやって得られた知識は普遍的なものだとされていたから。 ポストモダンでは普遍的な知識についてどう考えるのか 重大な問題ではないと考えている。 なぜポストモダンでは普遍的な知識が重要でないと考えるのか 近代の直線的な歴史が終わった事によって各時代の意義が失われ、近代を含むあらゆる時代の思想が見出されるようになったことによって社会全体における普遍的な知識のような問題が求められなくなったから。 現代哲学の解説ためには系統樹ではなく何が必要なのか 雑多な思想が渦巻くポストモダン状況においても、この状況を解明し、指針となるような哲学が生じているのかの見極めが必要である。 現代哲学者と呼べる最初期の人物は誰か アメリカのC・S・パース、ドイツのウィルヘルム・ディルタイ、フランスのジャン-マリー・ギュイヨー等 彼らは何をしたのか 機械論的進化論を受容しつつ、優生思想を導くような素朴実在論的な要素をそこから抜いた。 彼らの後に続く20世紀前半の人物は誰か フランスではベルクソンとサルトルとメルロ=ポンティ、英米ではジェイムズとデューイとホワイトヘッド、ドイツではシェーラーとハイデガーとヤスパース等 彼らが用いた道具立ては何か 「生の哲学」「解釈学」「現象学」「実存主義」「存在論」「論理実証主義」「プラグマティズム」等 彼らの哲学に共通の特徴は何か 現代の諸問題に対応できないのは近代の哲学に問題があるのであり、現代の科学的知見をもとに近代哲学をやりなおす点(「ル・ルネッサンス」)。 彼らの哲学に共通の難点は何か 過去の哲学の延長で「哲学は何らかの真理を語りうる」という前提のもとにあったこと。そして、その前提に立つが故に「ことばとは何か」という問題に十分な注意がいかなかった点。 日本の西田や和辻といった思想家は現代哲学者ではないのか 仏教や儒教といった日本の伝統思想の取り上げ直しに過ぎない。 彼らの議論に欠けていたものは何か 彼らの主題である人生問題や人間関係は、「人間とは何か」、「生命とは何か」を論じることになるが、これらの問題を論じるにはそもそも、その時代の文化や社会が与えることになる人生や人間の時代のイメージ(時代のイデオロギー)についても考察する必要がある。そうした考察の上でその主題がなぜ問題となり、それにどう答えるのかを思考するのが哲学だが彼らにはそれがない。 西欧の危機が認識されるようになったのはいつか 1918年にシュペングラーの『西欧の没落』がベストセラーになっている。真に歴史を生成しているのは生命的なものであり、生命に終わりがあるように西欧文明は終わりに向かっていると主張した。 西欧の危機に対する哲学者の反応は何か 1935年、フッサールの講演『西欧的人間性における危機と哲学』、ハイデガーの講演『ドイツ的大学の自己主張』がある。 西欧の危機に対する哲学者の立場はどういったものか 二つの立場があった。一つは進化論をふまえた「生」こそが哲学の真の主題であるという立場(ディルタイ、ギュイヨー、シェーラー等)と、もう一つは生から進化によって「意識」は生まれないとして、「意識」こそが哲学の真の主題であるという立ち場(フッサール、ジェイムズ、サルトル等)である。 「生」とはどういった概念か 「精神」と対立する概念。ディルタイによれば「生」とは純然たる物質以外のすべてのものであり、人間が作った機械をも含めて生物たちを貫くもののことである。 「生」を哲学の主題とする哲学とは何か 「生の哲学」と呼ばれる。デカルトのように「わたしは存在する」(わたしは思考する実体である)からではなく「わたしは生きている」を出発点とし、「生きている」という観点から近代の認識論と倫理学を根本からやりなおそうという哲学。 ディルタイにとっての哲学の仕事とは何か 生は流動的で汲み尽くしがたいものであるので、哲学の仕事は、生の語ろうとしていることに耳を傾け、それを不完全ながらも精神の言葉で解釈する「解釈学」である。 ギュイヨーが主張した倫理学とは何か 生の延長として人はどう行動すべきかを考えた。1885年『義務もサンクションもない道徳』によって生命としての人間は力のあるひとほど「なすべき」ことがあり、冒険し、破壊しては社会の道徳的進歩に貢献するとした。 シェーラーの「哲学的人間学」とは何か 進化論によって人間も他の生物と同様に進化してきた生き物の一種に過ぎないことがわかった時、それでは「人間とはなんであるか」という問いが生まれる。シェーラーは『世界における人間の地位』(1927)において、動物はそれぞれの種に固有な環境世界を生きるのに対して、人間精神はそういった環境を超えた客観的な一つの世界を認識できるとする一方、精神は生の衝動抜きに人間性を支配することはできないとし、精神と生命についての新しい哲学の必要性を述べた。
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250 :大学への名無しさん:2008/02/14(木) 23 42 57 ID jq1gAAvXO 数年前に哲学で補欠にさせられた俺からアドバイス。 専門バカだって思われると落ちる。哲学以外興味がない、他学部は受けてない的なことはいわない方がいい。 ポルトガル学科には「リオのカーニバルをみにいきたかった」で受かったのがいた。 俺の中でこの面接は視野の狭い奴を落とすための試験だったと結論してる。 257 :250:2008/02/15(金) 00 44 37 ID misPFCFcO 251 これって今の段階で哲学を知ってるかをみる面接ではないと思うんだよね。 俺は結局東北大の文学部で全然違うことを勉強したんだけど、哲学科の同期は 「高校時代読んだ本の中で一番わからなかったのが哲学。だから哲学やりたかった。」 と言っていた。大事なのってそういうところではないかな。 当時の俺は「哲学がわかる」とかいうAERA本読んで中途半端な知識をもって面接に望んで、やられた。 こういう姑息なやり方が一番嫌われる気がする。 300 :大学への名無しさん:2008/02/15(金) 12 03 39 ID HJFlElRnO 297 ・哲学科志望理由 (答えたら、それは一人でもできるよねって言われた) ・へいがん校も哲学科か ・言語は何をやりたいか あれ…これだけしか聞かれてない…短すぎだよね、あきられたかうわああん 548 :大学への名無しさん:2008/02/17(日) 02 03 03 ID AhW+3cB/O 546 受かった気がしないから晒す 哲の二次行ってきたよ 制服と私服は半々くらい 制服の方が少し多め? 面接は教官3人で自分は全員優しそうなおじ様だった 厳しい事言われるかと思ったけど案外笑ってくれて怖くなかったよ 馬鹿にされただけかもしれないけどw 質問は脂肪理由と哲学で学びたいことは何か、併願校はどこかって聞かれた あと答えたことについて少し突っ込まれたくらい 他に聞きたいこと有る? というかまとめてくれた哲の合格点数って%?だったら全部70%しか取れてない自分も受かったからボーダーこのへんだと思うww